高橋羚のメディアは報じないXで炎上した社会の闇について。

X(Twitter)で反響あった事を色々と書いています。

武井さん、努力で幸せになれますか?武井壮が伝えたい努力論とは何か。

始めに断っておきますが、僕は『努力が素晴らしい』とか『才能が勝つ』とか両方の事例やエビデンスを持ち出してどちらかを支持するわけではない。

(枚挙に遑がないし、どちらを信じるかは人それぞれだから)

さて、このタイトルはどこか似た感じで見聞きした方は多いと思う。

あなたは以前経済評論家の勝間和代氏VS精神科医の香山リカとの間で論争があったのはご存知だろうか?最初に香山氏が著書【しがみつかない生き方】の中で『勝間を目指さない』と吹っ掛け、それが盛り上がり、その論争がまとめられ2010年に出版された【勝間さん、努力で幸せになれますか】からインスピレーションを得たタイトルだからだ。

この時代の勝間和代は飛ぶ鳥を落とす勢いで「自己啓発のカリスマ」とも称された。

その勝間はこう述べている。

「やる気は開発できる能力。努力そのものが幸せなんです」
「努力というのは、別に苦しいものではないんですよ。プロセスが一番楽しいところに自分の時間を使えばよくて、つらい努力ならやめていいんです」
「努力をすると、より簡単に幸せになれるということです。私はわりと近道を教えているつもりなんですね」
「気持ちよくおいしいご飯を食べて、お茶を飲んで、好きな人や愛する家族と時間をすごし、その毎日をサポートするための経済的な余裕を、自分の得意技を社会で発揮することで得る、そんな毎日が幸せなのです」

引用元 勝間和代・香山リカ「勝間さん、努力で幸せになれますか」

勝間は自身の著書で「お金がなければ夫に従属して生きるしかなく、専門性がなければ嫌な仕事をするしかなくて、幸せになりたいならお金と専門性が必要だ」と説いた。

勝間の成功哲学をわかりやすく1ページでまとめてる本があったので掲載しておく。

引用元 橘玲「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」

この理屈で言えば「努力できない全ての人」は自己責任となり「頑張っても成果がでない人は更に努力するしかない」という事になる。

ここで香山リカが登場した。

「これを真面目に信じた人たちの心が病んでいく」と。

「なぜ、こんなやさしくてよい人が“負け組”などと呼ばれなければならないのか」
「効率をよくして、努力をして競争に勝ち、成功を収めることがそれほどすばらしいことなのか」
「努力ぎらいの人がいてもいいじゃないか、というだけではなくて、努力したけれど思ったような結果が得られない人、アクシデントによって努力を中断せざるを得なくなった人についてはどう考えればよいのか」
「コンビニの150円のワッフルで十分幸せ! カツマーにとっては、意外な言葉なんじゃないだろうか。それだけなら私とあまり変わらないけれど、そのためにもスキルアップが必要、というところがかなり違う」

「努力もできず、向上のできなくても、人は生まれただけで生きる価値や権利がある」

引用元 勝間和代・香山リカ「勝間さん、努力で幸せになれますか」

これは僕の妻も同じ意見だと思うが(妻は元々スポーツでも某携帯SHOP営業でも日本一の結果を出してきた絶対の自信家)勝間氏にとっては上記の香山氏の意見は言われなき批判で、勝間氏は伝説のコンサルタント「大前研一」の部下としてマッキンゼーなどで血が滲む努力をし結果を出し、独立してメルマガや本を書いてはベストセラーになり、カリスマと呼ばれ「勝間塾(サロンの走り)」ではたくさんの女性が入り「一緒に夢を追う」活動をしていた。橘氏は「勝間は料理学校でアップルパイを作ったり幸せになるためのレシピや技術を教えている」と言っていたが的を得ている。

最終的に香山リカは「これから社会が能力主義になるのは避けられから、それに対応したスキルを身につける事ができれば、より効率的に幸福になれる」と説いている。

でも「やってもできない」理由は沢山あり挙げれば切りがない。

最近勝間は「努力のほとんどは報われないという不都合な事実を知る」という動画をUPしている。努力ができても報われないことがほとんどだということだ。

www.youtube.com

 

さて時は令和5年の7月。

Twitter界で論争が起きている。

その主役は百獣の王「武井壮」だ。

そしてその内容は「運VS努力」の構図だ。

現在武井氏はTwitterのプロフィールに「『頑張りたい』全ての人へ贈ります!そうでない人は無視してくれ!」と書いている。

その理由は武井が「努力」を説くツイートに「運です」や「凄い努力すれば金メダルとれるのなら、日本人はなんでマラソンでアフリカ人に勝てないんですか??日本のマラソン選手はアフリカ人より努力してないんですか??」と噛み付いた人たちがいたから。

それで武井は「頑張りたい全ての人へ贈ります!」と書き込んだわけだ。

武井氏は確かに「努力」で報われない事は沢山あると言っている。

ネットの声は様々だ。

そして武井氏と言えばこの動画だろう。

観ていない人は是非みてほしい。

www.youtube.com

この動画で武井氏のサクセスストーリーがわかる。

家族と縁がない環境で育つ→20代はスポーツをたくさんやって陸上とかで日本一位になるけど収入が100万あるかないか→自分に経済的価値がなかったと認める→物事の価値は「人が求める数」と悟り芸能界を入る→成功して今に至る。

武井さんの過去ツイから〝努力〟と検索してHITした内容は全て読み、ネット記事も出来る限り目を通して、YouTubeも6年前ほど前からのを色々見ていた上で分かった事、思った事だが、武井さんは『世の中には努力だけでは叶わないものが沢山あるよ』といいつつも〝努力〟を推奨している。(頑張りたい人限定で)

勿論どれだけ才能があろうが努力(行動)の物理的なアクションを起こさなければ花咲かない。だから〝努力〟は崇高なものと捉えられ美化されている。

そして武井さんは『頑張りたい人のみ向け』って書いていますが、武井さんは競技会場の席が埋まっていないのを目の当たりにして(一人のプロが20人の客すらが呼べない現状)〝物事の価値を生むのはその人が求められる数〟だと気付く。

引用元 YouTube

頑張って日本1位になり残酷な現実に気がついた武井氏なのに(日本一位になっても食っていけない)「スポーツはギャンブル」といいつつ「努力している人に送る」と言っているのは少し知性が必要ではないか?つまり「努力」の表面だけを捉えるのではなく武井氏の全体のサクセスストーリを理解、背景を捉えないといけない。

(武井氏の成功は唯一無二)

そして例えばスポーツと言っても業種によると思いますが、野球は大谷(日本円で43億4,000万円稼いでいる)やダルビッシュ(39億6千万円稼いでいる)クラスになるともう野球を辞めても、色々なインデックスファンドを買っておけば金利だけで死ぬまで安泰ですが、そのライバルの競争率は半端ない。サッカーも同じだ。

引用元 gurazeni.com

引用元 なないろのこころ

野球とサッカー選手を目指す事はほぼ無理ゲーで遺伝子(才能)の部分が大きい。

データは沢山ありますが、ここでは長くなるので割愛しますがライバルも多くプロになれるのは奇跡だし、その中で更に活躍しないと食っていけない。

二軍に下げられるリスクが常に付き纏います。

やはりダメだった時に次に切り替えられるほどの知識と知恵が必要だ。

武井氏はそれをうまく乗り越えられたのが奇跡だ。

だから武井壮は唯一無二だ。

しかし、武井さんの言葉を聞き〝努力〟をしている人達が更に鼓舞され努力したとします。それはとても素晴らしい事です。ですが〝オトナの育て方〟で話されている通り、ある世界で日本一をとっても食っていけない世界、つまり競技場に一人で20人すら呼べない場合は日本一になった所で武井さんがいう『人に求められる数』は限りなく少なく経済的価値も生めない業種の場合だったら、それを全く伝えず「頑張れ!」という事は少し残酷ではないか?と思ってしまう。勿論それまでの努力は崇高なものだと思いますが、武井さんはその今の立場になり自身の経験から『しまった』と言いながら、他人には『頑張れ』というのは知らない人からしたら砂漠で水を見つけたのに蜃気楼だったみたいな話だと思います。

例えば武井さんの努力論+経済的(今の日本や市場)の現実論を交えて説明すればきっともっと多くの夢を追う人達は武井さんの言葉に動かされると思います。武井さんみたいに、スポーツ→芸能と極められる人は稀です。大半の人は何も夢叶わず人生を終えてしまう残酷な現実があります。精神論ではなくその一つの夢に向かう前に本当に正しいのか?夢が叶ったらどうなるのか?をリアルに想像する事の大切さを武井さんが多くの人に伝えて欲しいです。

やって出来る事も確かにあるかも知れないが、やっても出来ない事の方が多いし、仮に出来たとしても人に求められる数が圧倒的に少ないと経済的価値にならないから食えない。だから苦しみながら無駄な時間を過ごしてしまう人がかなり量産されてしまう。 

僕の結論は

「できないことは素直に認め、賢くなり、自分の能力を認めてくれる場所で自分の価値を経済的価値に繋げその世界で生きていく」

僕の好きな橘氏はある本でこう語っているが、これをブログの最後に引用したい。

「高度化した資本主義では、論理・数学的知能や言語的知能などの特殊な能力が発達した人だけが成功できる。こうした知能は遺伝子的で意識的に開発する事はできない。だからマックジョブが嫌なら好きを仕事にするしかない。あとはそれを収入に繋げるちょっとした工夫だ。」

引用元 橘玲「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」

そうだ、ちょっとした工夫だ。それは誰も教えてくれないから自分で掴み取るしかない。武井壮は、2つの世界(スポーツと芸能)で類稀なる結果を出した一人の人間であり、それが運か努力か議論しても無駄だ。

人は人。自分は自分なんだ。

努力は努力。運は運。才能は才能だ。

自分らしく生きていきたい。

 

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